前半ヨシ 後半ヨシ ---- 日比谷高の名物教師 |
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岡田先生忘れない | |
教え子らが追悼文集 17日には集い開催
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「前半ヨシ 後半ヨシ 合せてマチガイ」。都立日比谷高校(千代田区)などで教壇に立ち、鋭いロジックと温かい人間性で多くの生徒に慕われた名物数学教師をしのぶ集いが十七日、同区永田町の日枝神社で開かれる。二百人近<の教え子が寄せた原稿をもとに、四年がかりで完成した追悼集のお披露目も兼ねた会合。部分的には合っていても、全体の解答としては間違っている−−。本のタイトルにもなった教師の、人生に通じる箴言の意味合いを、参加者でかみしめる。 黒縁眼鏡、三つぞろいのスーツで通していたという岡田さん |
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教師は故岡田章さん。東大理学部を卒業し、旧制の群馬県立館林中学や府立第二高等女学校(現竹早高校)、母校の第一高等学校で教べんを執った。一九五〇年に都立日比谷高校の教諭になり、七八年に退職するまでの二十八年間に多くの人材を育て上げた。亡くなったのは一九九四年十一月二十五日ごろとされる。岡田さんが呼び鈴に応じないと、近所から連絡を受けた元同僚らが冷たくなっているのを発見した。七十九歳だった。 身寄りがないため、遺骨は一高時代の同級生の東大名誉教授・吉岡甲子郎さん(75)が預かった。翌年一月に行われた告別式で教え子らが参列者に追悼集出版についてアンケートしたところ、百数十人が協力の意思を表明。編集が始まった。 集いと同じ日付で発行される追悼集「前半ヨシ 後半ヨシ 合せてマチガイ−岡田章の軌跡」には、岡田さんの不思議な魅力がふんだんに描かれている。 授業は結果よりも過程を重視。論理的につじつまが合わない部分をズバッと指摘し、向学心をあおった。その一方で具合の悪くなった生徒を愛車で家に送り、入院して単位取得が危うくなった生徒を訪ねて個人授業する、浪人が決まって落ち込んでいる生徒を映画に誘う−といった思いやりを示した。 教え子や同僚ら百九十三人の寄稿文に、やはり教え子の雑誌編集者や新聞記者が行ったインタビューなども加えて本は構成されている。寄稿者には不破哲三・日本共産党委員長、篠沢秀夫・学習院大教授らの名も。 多<の文章に共通するのは、教師と教え子の心が通い合った時代へのノスタルジー。縮集に班わったジャーナリストの東郷茂彦さん(54)は「皆が『岡田先生と私』という強いつながりを持っているのに驚いた」と話している。 千部発行。希望者は「岡田章先生追悼集刊行会事務局」(郵便局振替口座00290・6・29687)へ実費の三千五百円を振り込めば、入手できる。午後三時からの集いの会場でも実費で分けるという。 読売新聞[H.11.7/10付]
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