5年前に亡くなった日比谷高の名物教師
 

忘れない 岡田先生の 教育者魂

教え子ら追悼文集発行
濃紺の背広にネクタイ、丸ぶちメガネ。古風な威厳を漂わせながらも優しい心遣いの教育で、教え子たちに慕われてきた数学教師の追悼文集が出版された。都立日比谷高校などで約三十年間にわたり教べんをとり、五年前に七十九歳で亡くなった岡田章さん。出版を記念して七月に開かれた集いには、現役生徒も含め百二十人が集まるなど、今でも名物教師は、人々の心の中で息づいている。

在りし日の岡田さん


 岡田さんは、府立第二高等女学校や母校の第一高等学校での講師を経て、一九五〇年に都立日比谷高校に著任。一九七八年に退職するまで、共産党委員長の不破哲三さん、前外相の池田行彦さんら多くの教え子たちを世に出した。  授業では常に黒縁の丸めがねをかけて、質素な背広からのぞいているワイシャツの手首のボタンはいつも外した。  見た目も、口調も圧倒させる先生だが、生徒を対等に扱う。浪人が決まって気落ちしている生徒をデイスニーのアニメ映画「ダンボ」に誘ったり、落ち込んでいる生徒たちを車で食事に連れていったりして、優しく、常に体当たりの指導だった。  亡くなったのは九四年十一月二十五日。自宅で一人ひっそりと、この世を去っていた。教え子らがその訃報を聞いたのは、その年の十二月。関係者らに声をかけ、翌年一月の葬儀には二百二十二人の参列者が集まった。  追悼集のタイトルは「前半ヨシ 後半ヨシ 合せてマチガイ」。一つひとつは正しいが、合わせるとダメと言う意味で、岡田さんがよく口にした言葉だ。ただ答案用紙にマル・バツをつけるだけではなく、生徒が何を考えて書いているのか見きわめて丹念に添削する、岡田さんならではの教育方針だった。
古風な威厳漂わせ ■ 優しく常に体当たり

 追悼文集は、同高校を六十三年に卒業したジャーナリストの東郷茂彦さん(54)ら岡田さんの四人の教え子が、「先生の教育方針を後世に伝えていきたい」と三年がかりでまとめた。 岡田さんの友人や教え子など百九十三人からの寄稿文や、インタビュー、岡田さんの語録などからなる五百四十一ページの力作だ。  そして七月十七日、追悼集の出版を記念して「岡田章先生をしのぶ集い」が千代田区内であった。百二十人が参加し、用意した九十冊の追悼集は完売した。  集いには、現役の生徒らも招待した。若い世代の後輩たちにも、岡田さんのような教師がいたことを知ってほしかったからだ。  東郷さんは「岡田先生の強烈な印象が忘れられない。先生の教育への思いを、今後も様々な形で受けついでいきたい」と話している。

朝日新聞 [H.11.8/28付]


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