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教え子200人が思い出つづる |
日比谷高の名物教師だった岡田章さん
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昭和二十五年からはぼ三十年間にわたり東京都立日比谷高校の教壇に立ち、平成六年に亡くなった名物教師、岡田章さんをしのんで教え子らかこのほど、追悼集「前半ヨシ 後半ヨシ合せてマチガイ−岡田章の軌跡」を出版した. 岡田さんは旧制第一高等学校、府立第二高等女学校などの講師を経て昭和二十五年、日比谷高校に数学教師として赴任。黒緑のロイド眼鏡をかけた芸術家的風貌(ふうぽう)と独特の教育哲学で知られ、退職する五十三年まで同校一の名物教師として多くの生徒に慕われてきた。追悼集は、五年前に七十九歳で死去したさい、葬儀にかけつけた教え子が中心となり出版の運びとなった。 同校時代の教え子には、篠沢秀夫・学習院大数授、町村信孝・前文相、坂本春生・西武百貨店副社長ら多彩な顔触れがそろう。町村前文相は追悼文で、岡田さんのユニークな授業方法に触れながら、「自主的に自分の頭で考え、行動する学生がはとんど育っていない」と現代の教育事情を憂慮している。 追悼集には、日比谷高校時代の教え子のはか、小中学校時代の同級生、一高時代の生徒だった不破哲三・共産党委員長ら二百人以上から思い出が寄せられた。 教え子の一人でジャーナリストの東郷茂彦さんは「先生は決して生徒を子供扱いすることなく、人間として平等に接し、生徒もそれにこたえた。二十一世紀の日本の教育を考えるうえで、ヒントになれば」と話している。 追悼集は実費で販売する。迫悼集刊行事務局は十七日、出版を記念して東京・赤坂の日枝神社で「岡田先生を偲(しの)ぶ集い」を開催する.問い合わせ・連格先は同事移局までへ(FAX 045・547・3199)。 産経新聞[H.11.7/7付] |