誇り高い風のように---信念貫いた日比谷高の名物先生


 5年前、79歳で亡くなった教師の追悼集が、教え子たちの手で刊行された。東京都立日比谷高校(千代田区)で28年間、数学を教えた岡田章さん。真念のある独自の教育を貫き、多くの卒業生に強い印象を残した。

教え子が追悼集

時代を超えたメッセージ

「現代の先生も読んで」

現役時代の岡田章さん1964年、日比谷高同僚の故滝沢俊郎さん写す

岡田さんのトレードマークは丸めがねと懐中時計。独特の語り口で授業を進め、鋭い眼光と自信あふれた笑顔が印象的だったという。東京帝大卒。学制改革で一高講師から日比谷高に移り、1978年まで数学教師を務めた。  追悼集のタイトル「『前半ヨシ、後半ヨシ。合せてマチガイ』岡田章の軌跡」は「前半ここまでは正しい。この後も正しい。しかし合わせて間違い」という、よく口にした文句から取った。他にも「発想が面白い」「姿勢を正して、緊張して!」と無数の語録を残した。 エピソードも多かった。終戦後の混乱期、教室に冷やかしに入ってきた米国兵を「ゲットアウト(出ていけ)!」と大声で追い出じた。驚く生徒たちに「敗戦とはいえ、日本人として自信と誇りを持つべし」と端然と語った。70年安保当時、デモに参加する教え子たちを、車の中からそっと見守った。  63年卒のジャーナリスト、東郷茂彦さんは「生徒が困っている時、神業のように近づいてきて適切な助言をしてくれた」と語る。 結婚しなかった。定年後、頼るべき家族も親族もなく、シンプルな人生の最後を、文京区のアパートで風のように終わらせた。  一高のOBが葬儀委員長になって営まれた葬儀には、教え子たちを中心に約220人も集まった。追悼集は教え子たちが発案、200近い人が原稿を寄せ、3年がかりで編まれた。編集委員会のメンバーは「時代を超え、今の教育現場にも伝わるメッセージがあると思う。現場の先生たちにも読んでほしい」と話す。 追悼集を希望する人は郵便振替口座0029-6-129687(岡田章先生追悼集刊行会事務局)に3500円を振り込む。また17日午後3時から、東京・赤坂の日枝神社でしのぶ集いも開かれる。参加自由、会費5000円。    【佐々木俊尚】

毎日新聞 [H.11.7/12付]


もどる 読売 産経 朝日 日経 □