残った時間は幾ばくかではあったが、真冬と変わらぬ晩秋の遅い夜明けがお銀に祝儀をはずんだ。小綺麗に整えられた宿直室、深々と柔らかい故郷の臭いのする布団の中で、お銀は子どものように眠った・・・。

 忍び込んできた森々とした冷気と、突き刺ささらんばかりの鋭い朝日に目を覚ましたお銀は、その冷気と陽光を浴びるように素肌に馴染ませると、手際よく身支度を済ませ、校舎を出た。凛とした空気にしなやかな足首はきゅんと締まり、集まり始めた人の目を避けるように早立ちしたお銀は、すたすたと歩き始めた。峠まで些かも遠くはなかったが、早く村が見たかった。小一時間行ったかどうか、眼下に小さな村と小学校を一望する誰が言ったか見返し平。お銀が手に取れそうなその眺めに浸っていると、しんと静まりかえっていた山がさわさわと歌い始めた。そして、たどたどしいが慈しみ溢れるピアノの音と、子どもに返ったかの様な大人たちの歌声が、小さく、しかしはっきりと聞こえてきた。

 「仰げば〜 尊し 我が師の恩〜   
  教えの〜 庭にも 早幾年〜 ・・・・・・・・・・・・・」

  つい、なにげなく空を見上げたお銀は、その目に入った風に舞う一羽のとんびに向かって呟いた。

「あの歌・・・悪くないよね・・・・・あたいの腕もだけどさ」

 仕舞ったはずの小さな真珠がきらりと一粒、お銀の頬を伝っていった。  いつの間にか雪のちらつき始めた峠を越え、その姿が見えなくなると、お銀、スキップをして次なる村へ向かって行ったと伝えられている。流れ調律師お銀、花吹雪と見紛う風花とともに去りぬ、一巻の終わりである。


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