Valery Gergiev KIROV OPERA-II

 
 昭和48年卒の野村和寿です。キーロフオペラのあと2つにいってきました。その後、極度の風邪をひき、予告よずっと遅く1週間遅れになってしまいました。長文御容赦ください。  
 2000年1月29日神奈川県民ホール
ピョートル・チャイコフスキー 「スペードの女王」
 指揮 ワレリー・ゲルギエフ
 ゲルマン(青年士官)ウラジーミル・ガルージン
 エレツキー公爵(リーザの婚約者)
 トムスキー伯爵(ゲルマンの友人)
 伯爵夫人(リーザの祖母)
 リーザ(伯爵夫人の孫娘)イリーナ・ロスクートワ
1月30日午後3時 NHKホール
ジュゼッペ・ヴェルディ 「運命の力」
 指揮・ジャンドレア・ノセダ
 ドンナ・レオノーラ(伯爵の娘)
 イリーナ・ゴルディ  ドン・アルヴァーロ(レオノーラの恋人)  ゲガム・グリゴリアン
 ドン・カルロ(レオノーラの兄)
 プレツィオジッラ(若いジプシーの女)マリアンナ・タラーソワ
キーロフ歌劇場管弦楽団 合唱団
 「スペードの女王」いいチャンスに恵まれないと思っている主人公ゲルマン、エレツキー公爵との結婚をさせられようとしている孫娘ヒロイン・リーザと祖母でかつてパリで一世を風靡した伯爵夫人スペードの女王、そして、カード賭博のお話。 人生は、ある意味で「賭け・ギャンブル」
 わくわくした気分と沈痛さとわくわくさの混じった感じ。
濃厚なスープ  華やかでパリがとても好きな地方の宮廷音楽の感ぬぐえなかったロシアで上演されているえらく田舎からみた都会のオペラ 
 チャイコフスキーは、音楽で「人生」を表現しようとした。音楽はいつものきれいで、華麗なチャイコフスキーとはずいぶん違う。作曲年代は後期、悲愴に近く、悲愴よりもさらに、ぶつ切りで、耳当たりのきれいないつものチャイコフスキーではない。3時間30分を超える時間。
 交響曲第4番みたいな 一幕
 チャイコフスキーのピアノ曲にあるしっとりとした滋味あふれる「四季」という曲にも似ているみたい。
 ゲルギエフは、なるだけ、わかりやすく切り出してきて提示。聖歌のように静かに男性合唱の重層性
 女性合唱の華やかさ。どこまでも大きくなるパーカッション オーケストラにきめ細かいかけあいが戻ってきて、クラリネットがしきるように、飛び回る。どこまでも大きな音の出る金管楽器はやはりすごい。
 しかし、ゲルギエフは、オペラ「スペードの女王」を再構築するのは、聞き手である「あなた」だといわんばかり。楽しい人生というよりいつも大変な人生。いい音楽とは決して口当たりがよいものでなく、人に考えさせ、疲れさせ、そして残る。簡単には楽しめない。しかもチャイコフスキーといういつもなら簡単だと思う音楽においてもだ。
 サンクトペテルブルクのキーロフ・マリインスキー劇場で上演されている「スペードの女王」に思いを馳せる。 凍てついた道。
 雪で覆われて転びそうな道を劇場に向かう。劇場は外気とは違って中はにぎやか。タイトルロールの一人リーザ役を歌う女性歌手ガリーナ・ゴルチャコーワが病気休演、ピンチヒッターに指名された歌手イリーナ・ロスクートワの入れこみようといったらすごい張り切り。
 賭博場で賭博ができないでいる青年  人生とはおうおうにして賭博的なことがある。 チャイコフスキー   ベネチア  プーシキン 
 ロシアオペラのゆっくりした展開  太くて深々とした男性歌手陣
 きっと、ロシアではこのオペラのことをさかなに、白夜のえんえん長い夜を議論に費やすのだろうな。
 興奮というより、心の動揺に眠れぬ夜をむりやりすごし、次の日は「運命の力」へ。 あの長大な交響詩のような「運命の力」序曲は、聴くことはできなかった。 運命の力の初演は、キーロフと場所を同じくするサンクトペテルブルクのボリショイ劇場の委嘱作品。いまや初演版を上演することは、ほとんどなく日本初演。
 ものすごく簡潔な序曲
 あのめまぐるしい弦楽器による動機がないばかりか、木管が奏でるコラールに、弦楽器があいのてをいれていたりする。運命の扉をたたく3つのテーマが演奏されて終わりという感じ。
 長大なオペラの前の序曲よりもずっと、物語には入っていける。この「運命の力」ははっきりいってずいいぶん過激なオペラだ。なにしろ、次から次へと登場人物が殺されていく。最後には自分も身を躍らせてしまう。ヴェルディは、イタリアでの物語の制約を超えた作品が作れたので、カソリックの神父に罵声をあびせたり、ずいぶんタブーっぽい物語にしている。なにしろインカ帝国の末裔の血がはいったドン・アルヴァーロが、侯爵の娘レオノーラとの悲恋の物語。「スペイン人に滅ぼされたインカ帝国の地獄からの使者、それゆえに、スペインでもっとも高貴で名誉あるカラトラーヴァ侯爵家の全員を殺すことになるのだ」(永竹氏解説)アルヴァーロのゲガム・グレゴリアンのメーキャップは、ちょっとインカっぽく、ドーランを塗っているが、なにか、逆にロシアのコサックの酋長のようにもみえてしまい、ちょっとイタリアオペラという感じでは残念ながらない。歌はとてもすごいのだけれど。しかし、当日のキーロフを指揮するのは、ジョナンドレア・ノセダという、同歌劇場のイタリアミラノ生まれのの若き首席客演指揮者。彼自身語っているが、「ロシア・オペラと違ってイタリアのオペラは、ずっとメロディーが長く、しかも流れるように」といっている。そのとおりに、ノセダは流れるように、指揮をする。しかし、キーロフはキーロフのまんま。重 さだけが逆に気になってしまうから不思議。キーロフのオペラは、自分たちの音楽を変えようとすればするほど、キーロフらしさは影をひそめ、普通のオペラになってしまう。それはそれでとても美しいのだが、歌手もみんなちょっと田舎くさくみえてしまい、とてもイタリアオペラのかっこうよさがない。
 キーロフオペラとは、いったい何だったのだろうか。29日の「スペードの女王」に続き、30日の「運命の力」で。今年の私の見るキーロフは終了した。それは一口にいえば「カリスマ」への強い憧れだ。ゲルギエフという「カリスマ」は、歌手やオーケストラに自分が臨むべき指針を与え、次に自分たちが、どんな音を出したらよいのか、それを的確に指示する。もともとポテンシャルのある歌手やオケのこと、その指針によって、輪郭のくっきりとした明快な指針が示されることで、「音楽ってこんなことをいってるんだよ」ということを目からうろこのように新しくみせてくれる。
 それは聞き手もそうだけれど、歌手やオーケストラだってそうなはずだ。だから、ゲルギエフのキーロフとそうでない人のキーロフではまったく違う。音楽は正直で残酷。そして面白いものだ。

Date: Sun, 6 Feb 2000 14:17 +0000
Subject: [seiryo:04543] KIROV OPERA2