「プラハの春で京都市響に遭遇 」

 97年5月 プラハの春で京都市響に遭遇
 5月14日 井上道義 京都市交響楽団
 97年プラハの春 音楽祭 スメタナホ−ルにて 午後8時開演
 席/3階右端 特別席へもぐり込む。
 曲目 石井真木 横笛とオーケストラのためのGIOU(ただし聴かなかった)
 アルボ・ペルト ジ・イントロダクショナリー・プレイヤーズ
 ブラ−ムス/交響曲第4番
 アンコ−ル ヨハン・シュトラウスのポルカを2つ、
 外山雄三のオ−ケストラのためのラプソディ
 新装なったア−ルデコ調のスメタナホ−ルに裏から入り込む。 正面玄関の外のレストランや、雑誌を売っているカ−サや、 ブティックなどの左側に楽屋の入口があった。4階に上がるとそこは楽屋というよ りも、 むしろ、舞台の下手だった。8時をすぎた時間、1曲めの石井真木は既に始まって いた。 赤尾の横笛とのコンチェルト、指揮は井上道義。 オ−ケストラは当地に演奏旅行でやってきていた京都市交響楽団。 こんな所で、日本のオケを聴くなんてびっくり。
 さらに裏手の4階には、録音室。といっても部屋と最小限のパッチがあるだけで 、ここで、記録のための録音が行われていた。 親子でミキサ−の気のいい録音ミキサ−は、 元放送局にいた人で、今はボヘミアビデオア−トの仕事をしている。 ジェネレックのアンプ付きスピ−カ−とミキサ−卓、 それにソニ−のDATがあるだけのしごく簡素な作り。 B&Kと思われるマイクを3本デッカにしている。 デッカは江崎が当地に持ち込んだもので 、彼がそれを取り入れたらしい。
 音はといえば、相当プア−かつ、 高域がかりかりしたとてもじゃないが、うまくいかないなという感じ。 昔のスブラフォンの録音のようなまさにそんな音だった。後日の演奏会で、 3点のつりかたは、いかにも適当で曲がっており、適当な感じで曖昧もいいところ 。ミキサ−氏がホ−ルの人に口をきいてもらったおかげで、 ロイヤルボックスのさらに上の階の部屋に入れてもらえる。 ここからオケは身をのりだせばみえるという感じ。
 曲は弦だけのアルボ・ペルト。 弦楽器のみの曲で、弦楽器は意外にも楽器はいい楽器を使っているなと思えてくる 。
 続いてブラ−ムスの交響曲第4番が始まる。  非常によくいえば、オケは健闘していた。弦楽器が特にみんな楽器がよくなっていて、 非常に芳醇な響きがしているのが心強い。しかし、なんという遅いテンポなのだろうか。 いつ終わるとも果てないかのようなスロ−テンポの中で音楽はとてもゆっくりと進 む。 1つのテ-マ と1つのテ−マにはおよそ関連性がなくて、何か聴いていて退屈する 。いったい、ブラ−ムスというヨ−ロッパの所産のような音楽にどう対処するのだ ろうか。 木管楽器があまりにも表情がなく、金管楽器が前に出ようとしない。 20年くらい前の東京のオ−ケストラの音みたい。 破綻はないが、まったく重々しいだけで、くるものがない。
 アンコ−ルは3曲、1曲めはヨハンシュトラウスのポルカのような曲。 いったいなんのためにやったのか、皆目見当つかず。2曲めは指揮者井上氏の発案と思われるヨハン・シュトラウスのポルカ。途中でオケがかけ声をいうところ に、 聴衆が合いの手を入れる感じ。オケのメンバ−とともに、 「レッツ・シング」と叫ぶ指揮者。「京都、京都、京都」と叫び、 「プラハ、プラハ」と叫ぶ。 3曲めは今日の呼びもの、外山雄三の「オ−ケストラのためのラプソディ」これだけ。 観客の願望を一身に集めた。特にパ−カッションが急ごしらえの 日本のお囃子隊になるときのかけ声はやはり日本人がここで聴くとジ−ンとくるものがあり、まことに、ヨ−ロッパ音楽とは異質だった。 これは面白かった。
 聴衆はこんなに日本人がプラハにいるのかと思われるくらい何割かが日本人だっ た。 ロイヤルボックスには京都市長。でも彼はずっと居眠りをしていた。 ウィ−ンから6時間にも及ぶ汽車の旅でお疲れなのでしょう。 隣はおそらく駐在日本大使と思われる人物、 これまた、からいばりのように胸をはっているが、 音楽は皆目わからないようで困っていた御様子。 この演奏会が同行新聞記者の手で、ブラボ−もとんだ大成功とかかれるんだろうな ?
 イギリスの有力マネ−ジメントにして、アシュケナ−ジのマネ−ジャ−、 パロット氏もだめだといっていた。彼は以前、 井上氏のシカゴ交響楽団デビュ−のマネ−ジメントをした人。 だからどうしても聴きたいとのことで我々もついていった。 指揮者のそでのところで、見えるようにさりげなく佇むパロット氏と、 あまりにも場違いな場所に本当に驚く井上氏の顔が印象的だった。 演奏については、パロット氏は厳しい評価だった。 ぼくはつい日本人なので謝ってしまうと 京都の人間じゃないから謝らなくていいといわれた。