「コバケンチェコフィルで録音

●小林研一郎指揮チェコフィルハ−モニ−管弦楽団
 録音曲目 リスト 「死と舞踏」
 6月26日午前9時30分−11時30分 プラハ・芸術家の家ルドルフィヌム  
 6月26日水曜日 午前9時、ルドルフィヌム コバケンのチェコフィル録音最終日。
 コバケンはいつものように、元気に指揮を始める。コバケンの指揮は見ていても気持ちのいいくらいに、全身全霊を傾けている。すごいのは、自分はこんな音 を出してくださいといわんばかりにメンバ−を鼓舞している点だ。あおるというか 、非常にうれしいくらいにがんばるので、オ−ケストラのメンバ−も、どんどんと それにこたえて頑張ることになる。しかし、日本の指揮者が頑張っている姿を見る のは気持ちのよいものである。コバケンはいつものようにドイツ語で語りかけている。それは、言葉よりも指揮棒で自分のことが雄弁にいえているといった感じの状 態だ。
 この人には、何か憎めないところがあり、演奏曲リストの死の舞踏は、盛り上が りをみせる。コンサ−トマスタ−の調弦をかえた、バイオリンを自分の横において 、ソロにそなえる。ティルシャルを始めとする、ホルンのソロは、森の響きのよう に、層をなして聴こえてくる。ティルシャルは自分の写真が気に入っているので 、ほしいということもいえなくて、同僚にいってもらうくらいのシャイな人間、残 念ながら、チェコフィルを離れているが、今回は録音のために特別に参加している 。トランペットの首席ケイマルに聴くと、コバケンはなんといっても、ハ−トがあ り、しかもテンポと、リズムが非常にスム−ズでよいとの評価を受ける。
 コバケンは指揮をした後、本当に満足したようすで、ビ−ルと昼食をとりながら 、自分の人生の中でこんないいことがあってよいのだろうかと、多少涙ながらに熱 をこめて語りだした。「いつも僕は夜中に飛び起きて葛藤している。おなかがいた むことがある。いったい自分はこれでよいのだろうか。苦しい瞬間が音楽家には恐 怖がある。自分はいったいこのオ−ケストラに何をしてやることができるのだろう か、と真剣に考えるという。指揮者はよく、いい音楽ができていいというが、そん なものではなく、つらいものだ。けっして、よい商売では。ないのだ。」という 。しかし、コバケンが第2バイオリンに指示をする。もっと、フロッシュで一生懸命弾いてほしい。すると、オ−ケストラは一瞬でそれにつけてくるのである。
 オ−ケストラがまるで生き物のように音が変わる瞬間をみた。音はまさに魔法で ある。金管からの柔らかな層をなした音楽は、とても日本ではおめにかかれないも のだ。珍しく何回も指示を出してまとめていくコバケン。しつこさを忘れないで 、何回もアタックする江崎。オ−ケストラはうねるように、音楽を叩き出す。幻想 のテ−プはまるで、一幅の点描画をみる思いだった。それは、どこまでも透明かつ 、非常に細やかでニュアンスに富み、それでいて、ダイナミックな感じはすごい。
 オ−ケストラをひっぱる、コバケンの目、情熱、熱情、オ−ケストラに対して 1瞬間前にこうひいてくださいよ、と、いわんばかりに音を体で表現、というより 、心で表現していく。それは楽団員に温かく伝わる。特に第2バイオリンのフロッ シュの指定、一生懸命に弾き出すバイオリン。縦線のそろっていないのが、むしろ いいと思う。情熱のほとばしる音、集中力がすごくて、非常にテンションが高い 。フレッシュな音を求めて狩人が音を狩りのように非常にどこまでも音を出す努力 をしていく。
 オ−ケストラの人達は、冷静な目つきから一転して、前向きに弾きだしている。こ の人のためならば頑張るぞという形で弾いている。 ホルン、トランペットはもちろんトロンボ−ン、やチュ−バといった金管楽器のき れいなコラ−ルといったらもう本当にすごい。「こうした音はすぐ吹けといったってなかなか吹けるもんじゃない。生まれながらの聞いている音の違いでしょうか 。」とコバケン
 次から次と情景が現れては消えていく沸き上がって来るものが ある。オ−ボエとファゴットの若い見習い奏者が横でみていた。古参のトップは 、指揮者とオ−ケストラとの関係をそこで、教えているのだろう。オ−ボエの美し いソロの所で、耳をそばだててじっと聴いているビオラの奏者たち。そうだ、きっ とこれがみんなで作っているということ。オ−ケストラということなのだろうな。  人間にはいくつかの重要な出会いがある。もちろん、その出会いの中で、江崎が 10歳の時に、指揮者バ−ツラフ・ノイマンに会ったのは、彼の人生を変えてしま ったといってもいい。そして、ひたすら、チェコを目指すのである。彼のプロデュ −スの結晶が日本人指揮者のチェコフィルへの登用だった。
 江崎は、コバケンのシベリウスの録音の際、どうしてもノイマンに聞きにきても らったのはそういうこともあったのだろう。ノイマンは、当日、奥様の客人がウィ −ンからきているので、いけるかどうかわからない。自分は歳をとっているからと 気乗りしない答え。しかも録音セッションの当日は大雨だった。しかし、チェコフ ィルのコバケンによるセッションが始まる直前、一人の老人が今日はプライベ−ト だからと、車にも乗らずに、歩いて自宅からやってきた。、2階席から、コバケン の挙動の一挙手一等足をみていた。そして、途中で帰るといっていたのに、ずっと 最後までつきあって、一目もはばからず、ぼろぼろ泣いてこういった。
 「あの指揮者はいい。コバケンはチェコフィルに非常に合っている。」そういっ たのは、もちろん、ノイマンその人である。
 コバケンはチェコフィルのいつもはやらないシベリウスを、多少とまどいながら も、江崎のほめことばに接していたという。そして、その関係は2回目の今回の一連の録音で、結実したのだ。江崎によれば、コバケンは、この録音の編集されたテ −プを翌日にきいて、思わず感涙したという。「自分はライブ以外に録音というも のには、まったくといってよいほど、興味がなかった。出会いとはいろいろなものがあるが、江崎氏とは非常に大きな出会いだった」と語るコバケン。世代は50半 ばと30半ばの男が結ばれるというのだから本当に面白いものだ。「文化は最初に 切り捨てられる。しかし、文化は自分は文化がなければ人間はないと今日本当に思 った」と語るコバケン。
  「これを天国にいる山田一男先生におきかせしたら、なんというだろうな、でもそれでもあそこのとこはそうじゃないなんていうだろうな、天国できっと優しい顔 で見守ってくれていると思う。でも聞かせたかったな。」彼はそれでも今は亡き師 に謙虚に語りかける。「最初に山田先生の前で指揮をしたときは、体が硬直して 、何が何だかわかりませんでした。それが今、私はチェコフィルを指揮しているの です。」そんな思いに、コバケンは饒舌になる。ビ−ルを飲む本数も増えていく 。「音楽家は時々すごい出会いがある。こんな時がそれなんでしょうね。」  「前日の独奏チェロ ゲリンガス(元ベルリンフィル首席奏者)とのドボルザ−クの小曲「森のささやき」でも、オ−ケストラがうねるように出てきて、ものす ごく素晴らしい瞬間があった。まるで夢のように森にいる気持ちになった。メンデ ルスゾ−ンのバイオリン協奏曲の第2楽章は、普通、なにも苦労を知らないメンデ ルスゾ−ンといわれるけれど、そんなことはぜんぜんなくて、オ−ケストラがコラ −ルを演奏するようなころがあり、そこが、絶品に素晴らしかった」と語るコバケ ン。
 コバケンは実に正直な人間である。そ して、感激屋さんでもある。すばらしい、すばらしいと楽員にいいながら、結局自 分にいいきかせているところがある。そして、その結果とてつもなくすごい幻想交 響曲が実現してしまった。
 おそろしく躍動する弦、しかも透明感と濁りを含まない、ビオラ、低音群、木管楽器の1つ1つの音 が聞こえていながら、なおかつ層をなして壁のように漂う音、金管の少しもうるさ さを感じさせないこれまた極上の層。これらが渾然一体となて、うねり、彷徨しな がら、ある時はスピ−ド感がまたたくまに加速度を増してきたかと思うと、あると きは、漂うかのように、すばらしい浮遊感をみせる。これはただものではない。だ から、コバケンはきっと感涙したのだ。
 江崎の録音方法は、前回のアルブレヒトの時よりもずっと、慣れてきていた。デ ッカ3をいくつも配しノイマンとショップスを組み合わせた録音方法は変わっていないが、録音場所にかなり慣れた感じなのと、コバケンのキャラクタ−をつかんで 、こまかくオーケストラをストップさせるのではなく、ある程度流して録音していく というやり方だった。 「江崎さんは、いつもぼくのことをよくわかってくれて 、オケが少々ずれてもその方が効果があがることだってある。そこのところを大胆に理解してくれているんです」とコバケンは語る。弦楽器と管楽器が多少ずれたっ ていい。曲の感じがでればということなのだろう。それはもしかすると、オ−ケス トラの指揮者を長く勤めた者だけが分かる勘に近い衝動なのではないかと思えてく る。
 あの幻想交響曲に話をもどそう。今回のスカッとした音の元は、録音機器にもあ った。アンプの障害物をなくし、低音の遅さを除去し、極性を合わせ、すべての機 器に対して信濃電気特性の220ボルト、デジタル電源を使用、高音のすぐれた日立電線の作ったPCOCCのマルチケ−ブルを30メ−トル(60万円もするのを 自費で購入)、dcsで録音すると、鼻がつまった時に、点鼻薬をさした時のよう に、ス−ッッと抜けてくる感じがでた。しかもすごいところは、デジタルの電源をマイクの電源に使うか使わないかは、耳で決め、デジタルの電源をあえて使わない という録音もしている。
 次回、コバケンはチェコフィルを伴って、有名なザルツブルグの音楽祭に出演の後に、ドイツ各所を演奏旅行することが既に決定している。そんなとき、江崎氏は 、「わが祖国」をやれと、電話でいってきたんです。突然、次の瞬間、おなかがきりきり痛みだしたのですよ。チェコの第2の国歌ともいえる、スメタナのわが祖国 を指揮するということは、栄誉であり、また、それは大いなるプレッシャ−でもあ る。もちろん、我々はそれを指揮する日本人指揮者にエ−ルを送りたい気持ちでい っぱいである。
6月28日午前11時半−午後5時半 6月29日午前